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オターヴィオ・テルセイロ氏追悼

今週の初め、ブラジルの友人より、Otávio Terceiroオターヴィオ・テルセイロという、僕のリオの知人の訃報が送られて来た。
オターヴィオさん。2003年、埼玉の片隅からブラジルに移り、遅すぎる「ボサノヴァ武者修行」をしていた僕と、いわばボサノヴァの「本丸」であるところのジョアン・ジルベルト氏とを結んでくれた、大恩人である。そのオターヴィオさんが亡くなられたと。
もう、書く機会もないだろうから、追悼の意をこめてここに記します。

出会いは、2004年だったか。僕がリオに住んで1年経った頃。毎週水曜日に通ってボサノヴァ好きの仲間と演奏していたコパカバーナのBipBipという店で、いつものように歌っていたら、スタンディングして実に楽しそうに拍手する初老の方が。BipBipの店長アルフレヂーニョが「あいつは、偽物だ。ジョアン・ジルベルトを日本に連れて行ったなどと抜かしておる」と。演奏を終えて、僕はその人を見た。間違いない。2003年、ジョアン・ジルベルト東京公演で、ジョアンがコンサートの途中に身動きしないまま、10分、いや20分以上、静止してしまった時に、マネージャーらしき人が舞台袖から現れて、「大丈夫か、ジョアン?」とでも聞いたものか、それに対してじジョアン翁は「Arigato、ジャパン!」と言い両手を合わせたのだった。続いて、マネージャー氏は総立ちの客席に向かって手を挙げ、「大丈夫だ!」と手を挙げてOKサインを送ったのだった。
「あなただったんですね、あの時腕を振ってOKサインを送った方は」と問うと、オターヴィオ氏は「そうだ、アミーゴ!」と笑顔で答えて。そのあと、閉店したBipBipを後に、海辺で飲み、話し、その後また別の店で飲み、話し・・。そうだ、僕はそんな店先で「Beatriz」を弾き語ったものだ。そしたらオターヴィオ氏が「ミチナーリのベアトリスを聞いたら、世界の戦争は無くなるだろう」とおっしゃった。嬉しかったけれど、それはほんとかどうか、知らない。とにかく、その言葉は忘れられない。その後、午前4時頃か、突然、道を通りかかった酩酊のセニョールが「おー、アミーゴ、久しぶりだな!」とオターヴィオ氏と抱擁し、「俺の家に行って、音楽を聞こうじゃないか」と誘い。聞くと、二人は、共に協力して、あのリオの有名なCanecão劇場の設立に関わった仲間だとか。セニョールは喉頭癌を患っていることは明らかで、喉笛から息が漏れて、にもかかわらず酩酊、千鳥足のツワモノであった。ちょうど朝日が昇り、街の中も出勤の人など動き始めた頃だった。我々はタクシーで喉頭癌の千鳥足セニョールの宅に着いたが、ホッと一息つくかつかぬうちに、酩酊したセニョールは直立した体ごと後ろに倒れ、後頭部を床に強打。激しく流血した。僕は彼の頭を抱き、自分の手が血に染まるのを見ながら、他に何もできず。すると突然セニョールの老母と思しき人が現れ、「一体、あんたたちはここで何をやっているんだ!」と怒り喚き始め、一方セニョールは倒れたまま「うるせえ、くそ婆ぁ!」と僕の腕の中で罵り、そしてうたた寝していたオターヴィオ氏は、叱られた小学生のように「ごめんなさい!」と謝り・・。もはや僕らは黙って退散するより他なかった。オターヴィオ氏とともに建物の外に出ると救急車が到着、少しほっとした面持ちで「では、また!」という感じで別れたものだった。これが、オターヴィオ氏との最初の出会いの日であった。ああ、追悼文が長くなってしまった。

でも、もう少し、書こう。この「事件」より一週たったころ、彼から電話で「ミチナーリ、ブラジル最高のピアニストWanderleyと、あるホテルのロビーで一緒にいるんだ。ここに来ないか」と。すぐに飛んでいったが、Wanderleyなんて人は知らなかった。その人こそ、後に僕のアルバム “Trovador”の中の二曲でピアノを弾いてくれた人だ。数十年にわたり南米最大の人気歌手として君臨してきた「Rei(王様)」ことロベルト・カルロスの専属ピアニストを勤めて来た人である。しかし彼は「俺の真実はボサノヴァだ!」というピアニスト。「ジョアンから、『お前のピアノは、あの川面に向かって投げて跳ねてゆく石ころのようだ』と評された」と嬉しそうに語っていたっけ。オターヴィオさんは、ジョアンだけでない、僕にとって重要な音楽家を紹介してくれた方でもあったのである。

そして最後に語っておきたいのは、僕がリオで三年がかりで作ったアルバム「トロバドール」のブックレットに一言、何か掲載用にコメントがほしいとオターヴィオ氏に仮のミキシングを施したCDを渡した時のこと。「俺のうちにはCD プレーヤーがないから、ジョアンのうちで聞くよ」というから、冗談かと思ったら後日「ジョアンのうちで、彼と一緒にお前の CDを2回、繰り返して聞いたよ。ジョアンが、お前に『おめでとう』を送ったよ。」というので、思わず、『僕はもう、このアルバムは発表しなくていいです。ジョアンが聞いてくれたのなら」と言ってしまったのだった。まさに、20歳でジョアンのボサノヴァに出会った臼田道成青年は、40歳になるその時まで、彼を目標に、憧れて頑張り、しまいに地球の反対側まで来てしまったのだから。オターヴィオさんは、そんな「会えない人」だったジョアン・ジルベルトに間接的に会わせてくれた人でした。そうだ、まだ、もう一つ面白い思い出が。
あれは、僕のCD「トロバドール」のリオでの発表記念ライブに招待した時。会場に到着するや、「ミチナーリ!ニューヨークのカーネギーホールの出口で、ジョアンがお前を抱擁したらしいな。『ミチナーリ!お前は世界最高の歌手だ!』と言って抱擁したそうじゃないか」と言うので、「僕はニューヨークに行ったことはないですよ。しかし、その間違えられた日本人は幸せ者ですよ」と答えたものだった。
ああ、オターヴィオさん、さようなら!ブラジルでニュースにもなっていないだろうけど。僕が微力ながらニュースにします。半世紀に渡って、ジョアン・ジルベルトを支えた人。極東の、ほこりっぽい埼玉の町の男と、リオのジョアンを結びつけてくれた恩人。さようなら!

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