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木枯らし紋次郎

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先月末に行なった渋谷のBarquinhoでのライブで、久々に「誰かが風の中で」を歌った。そう、あの懐かしのTVシリーズ「木枯らし紋次郎」のテーマ曲だ。偉大な小室等(哲哉ではない)の名曲。タイトルでピンと来なくても「ど~こかで~、だ~れかが~♪」と来れば、40代以上の日本人なら「ああ、あの長い楊枝の渡世人!」と思い出してくれるだろう(僕は、あの曲を歌う、偉大な上条恒彦以外の唯一の日本人歌手だと自惚れている)。

前置きが長くなったが、久々にオフの今日、先月放送になった新版「木枯らし紋次郎」を見た。姉に頼んで録画しておいてもらったのだ。すでに、僕のHP"misc"中の「ボサノヴァとは何か」という論考で書いたように、ボサノヴァの最高の演じ手=ジョアン・ジルベルト、と同じ意味で、木枯らし紋次郎の唯一の演じ手=中村敦夫と、僕は信じ込んでいる。いかに江口洋介が、中村敦夫と共通の身体的特徴(長身、顔が長い、目が細い、等)があるとはいえ、期待はしていなかった。が、永遠の紋次郎ファンとしては、チェックしないわけにもいかない。で、見た。
やはり、無理であった、どだい無理であった。紋次郎は敦夫さんでなければだめだ。しかしその敦夫さんは、ゲスト出演で、居酒屋で飲んだくれる謎の「すご腕」爺さんとして1分くらい登場しただけであった。おれはもう紋次郎は引退したという宣言であったか。もしくは、紋次郎やりたくてもできないんだという嘆きでもあったか。残念だ。ジョアンは80になってもボサノヴァを歌えるだろうが、60を越えたであろう敦夫さんに、もはやあの紋次郎独特の破れかぶれのような殺陣はできない。残念だ。僕らは過去の「木枯らし紋次郎」全作品の中を行ったり来たりするしかないのだ。

江口紋次郎に何が足りなかったか。道中合羽の丈が長過ぎる、肩幅が狭すぎる、足首の脚絆の締まりが悪い、とかあげつらえばいろいろあるが、しかし一番の問題は「顔」だ。
中村敦夫の「絶望」、が江口氏の顔にはない。いや、殆どすべての現在の若い俳優の顔に「絶望」の傷跡が無いと言っていい。絶望があって、その果ての希望が光るのだ。「苦み」と言ってもいい。本物の「苦み」を持った顔を現代の日本の役者に見つけることは困難だと思う。「苦み」があるからこそ甘さ、優しさが光るんだろう。敦夫さんは上手な役者じゃないが、「顔」、本当に孤独な魂を感じさせる「顔」を持っていたと思う。僕が昨今の映画を見なくなった最大の理由は、魅力的な「顔」の不在だ。片岡千恵蔵、三船敏郎、鶴田浩二、市川雷蔵、勝新太郎・・・どんな優れた脚本や演出よりも、「いい顔」が見てみたい、僕は現代の絶望的な映画ファンだ。


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