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イパネマ、ボサノヴァ会議で演奏

ボサノヴァ会議 ipanema


それにしても忙しい2日間であった。日本であくせく働いている人から見たら、なんということもない忙しさかも知れないが、日々あまり約束に縛られない生活をしてきた僕にはこたえた。
一昨日は、日本とボサノヴァの関係を探るブラジル人取材班によるドキュメンタリーへの出演で、リオ植物園に隣接した美しい建物に連れて行かれての撮影であった。僕にとっては仕事ではないのだけれど、その映像が日伯両国の見知らぬ公衆の目にふれると思えば、なにやら緊張する。間違ったポルトガル語を連発するのがわかってるから、気が重い。おまけに、インタビュアーの他、撮影、照明、音声など5、6人にがっちり囲まれての取材だ。言いたいことも、これじゃあ自然に出てこない。ポルトガル語でボサノヴァと日本文化の関わりを語っていて、いきなり「古池や、かわずとびこむ水の音」なんて俳句を紹介したら、今度は「とびこむ」でうまくろれつが回らない始末。日本語もダメか。さらにボサノヴァ3曲の演奏も実演で収録されたが、いやはや、これも大変であった。一曲を通して間違いを許されない演奏ってのは、きついものだ。

インタビューの後も、屋上のベランダで、遠景を眺める振りをしたり、感慨深げに歩いたり、と言われた通りに撮影に協力し、ああ、ようやく終わった、と息つく間もなく、タクシーでイパネマの「ボサノヴァ会議」会場へ。
この会議は、ボサノヴァ専門店“Toca do Vinicius”主催の、4日間に渡るボサノヴァ50周年記念イベントで、Ruy Castro他、ボサノヴァ関連の著名な評論家などの講演あり、Pery Ribeiroなどの有名歌手のショーもあり、という、かなり大々的な、そしてボサノヴァにとって始めての催しである。 その歴史的イベントのオープニングで1曲歌ってみないかと“Toca”のCarlos Alberto店長に招待されたのだった。実はその招待が、その日の昼間、まさにドキュメンタリーの撮影地に向かおうとする時であり、なんでまた、こんなぎりぎり(本番6時間前)に、そんなだいじなことを伝えてくるものだか、まあしかしリオだからしようがない、という理屈でいつも納得してしまうのだが、とにかくありがたく引き受けた。
さて、サウンドチェックの時間に間に合わせるため大急ぎでタクシーを走らせて会場に着くと、イパネマのその一帯が停電状態で真っ暗。僕の歌の後にショーを行う偉大なボサノヴァ・コーラスグループOs Cariocasオス・カリオカスも、暗闇の中で待っていた。
そんな暗闇の中で自己紹介するのも変だから、じっとして、待つこと2時間。お客さんたちも続々闇の中に到着し始めた頃、とうとうCarlos Alberto店長がオープニングイベントの一日延期を発表。なんだか逆にほっとしながら、すぐさま電気の通っているお隣コパカバーナへ。

ボサノヴァ会議2


今日水曜はBip-Bipのroda de bossa(ボサノヴァの輪)の5周年記念日なのだ。責任者代行としては欠席は許されない。そして、ここにも昼間の撮影隊がすでに到着して準備を始めていた。Bipでの僕の映像を撮りたいというわけだ。さらに、我が国のNHKの取材班もボサノヴァ50周年記念の取材でBipに到着。roda開始まで、スタッフとともに、つかの間の夕食をとる。記者のHさんはじめ、皆気持ちのよい人たちである。
そして5周年記念roda開始。いや、実にハードなrodaだった。2つの撮影隊だけでなく、お客さんもいつになく多くて、その話し声と、ブラジル撮影隊の大がかりなライティングの熱と光線と闘いながら、1時間も演奏したら、もうくらくらだ。そこへエレキベースが加わって、盲目の「叩き屋」パンデイリストMauroも入って、「弾きまくり屋」Aryも来てしまって、もう僕はこの辺で降りさせていただきます、とroda(輪)の外へ脱出。
rodaは大混乱だったが、せめてNHK撮影隊に良い収穫があったら良いのだが。彼らのカメラの前で、近頃病気がちなBip店長のAlfredinhoが得意そうに吠えていた(喋っていた)のが、微笑ましかった。客達には「静かにしてくれ!音楽家の演奏を尊重してくれ!」と訴えていたが、賑やかなこの5周年はきっと、彼の良薬になったのではないだろうか。
が、とにかく僕は大疲労で帰宅。

翌日木曜は、昼間にNHK取材班が我が家に来ての収録。その後、急いで「ボサノヴァ会議」会場へ。停電していない。つまり僕はこれからここで歌うのだ。Os Cariocasのサウンドチェックを見ながら、自分の番を待つ。僕はふだんなら、舞台では皆と同じようにエレ・アコ(電気的クラシックギター?)を使うのだが、この日はジョアン・ジルベルトに敬意を表して、そんな小賢しい細工のない、ふつうのクラシック・ギターを持参した。50年前は、舞台でもみんなこのふつうのギターの音を、マイクでとらえていたのだ。ジョアンは今だって、そうだ。50周年イベントのしょっぱなに、普通のギターで、ジョアンのスタイルで、日本語の真正ボサノヴァを演奏する。これが僕なりのジョアンおよび50周年へのhomenagem(敬意)の表し方だと思った。
出番を待つまでの間、楽屋でOs Cariocasの面々と雑談に興じる。みんな物腰の柔らかい、いい人たちだ。ただ、70歳を越えるであろう、オリジナル・メンバーのSeverino氏だけが他の3人からぽつんと離れ、静かにしているのが印象的だった。
さて本番、お客さんは満員御礼、500人ほどか。司会のCarlos Alberto店長の指示通りに、暗闇の舞台へ進み、椅子に座り照明がつくのを待つが、ありゃ、いつまで待っても明るくならないぞ。不思議に思っていると「Michinari, vai, vai(go!go!)」という店長の声。え、なに、真っ暗のまま演奏するの?しようがない、始めましたよ。手もとがまったく見えない。コードの抑え違いの恐怖と闘いながら、“Song for Lila”一番を歌い終え、さあ転調して二番だ、ここで照明さん、かーっと来てくださいよ、と期待したが来ず。結局暗闇の中で、演奏しきった。拍手、その瞬間ぱっとライトがつき、店長が僕を紹介した。つまり演出だったのだ。先に言ってくださいよ、店長。いつも遅いんだよなあ、連絡が。ミスがなかっただけ、まだよかった。ほっ。Os Cariocasとバトンタッチ。
しかし、暗闇で映像を撮らなければならなかったNHK取材班には気の毒であった。彼らは、この映像にもっとも期待していたのだから。会場の外で会ったH記者は、しかし思いのほか快活だったので安心させられた。それどころか「すごいことですよ!日本人のあなたが、このリオ・デ・ジャネイロのだいじなイベントで第一番目の演奏者として選ばれたんですよ!」と、まるで、よく事態がわかっていない者に教え諭すかのような、はきはきした口調のうちに、演奏した僕自身より、僕のイベントへの出演を喜んでくれる気持ちが見えて、とても嬉しい気がした。
Os Cariocasのショーが終わり、聴衆も会場を去ったころ、舞台で最後のインタビュー。ここでも、H記者の高揚し、かつはきはきとした問いにつられて、僕のほうも知らず、はきはきと答えるうち、思わず、僕はいいことを口にしたような気がする。
「ジョアン・ジルベルトは一度も、自分の音楽をボサノヴァと呼んだことがないと聞きます。僕も、ボサノヴァを追求しながら、いつか僕自身の音楽を作り上げたい。そして、それこそがボサノヴァなのかも知れません。」
言葉は少し異なるだろうが、だいたいそのような意味のことを言ったと思う。
ジョアンは自分の音楽を、自分から切り離したボサノヴァという対象物として見ずに、「これは俺そのものだ」と思っているのだろう。つまりここで僕が言いたかったのは、ボサノヴァとは音楽様式でなく「俺そのもの」を発見しようとする精神と努力なのかも知れない、ということだろう。また発見だ。H記者、ありがとう。そして、スタッフの皆さん、お疲れさま。ブラジル隊の皆さんもお疲れさま。Carlos Alberto店長、ボサノヴァ会議、4日間が無事成功のうちに終わりますよう。
いやあ、しかし忙しいのは大変だ、の巻でした。

ボサノヴァ会議インタビュー





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