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ソロ・ライブということ

一昨日の日曜午後、渋谷のBarquinhoにてひさびさの完全弾き語りソロライブを行った。「完全」とここでいうのは、ゲストも呼ばす、最初から最後まで一人、のライブのこと。思えば30年前、高校生の頃、学園祭で演奏活動を始めたときから、僕は「完全ソロライブ」をやっていたものだが、実はここ10年ほどのライブは、殆どの場合ユニットで、またはゲストを招いてのソロライブ、であった。何を隠そう、自信がなかったのだ。なかったというか、失っていた。ひとりだけで2ステージ100分を「もたせる」自信を。
自分の歌の、ギターの技術の至らなさがその原因だったが、ようやく今年自分自身でOKを出せた。「ひとりでやっても良し!」と。

果たして、100分のライブは旅、しかも孤独な「一人旅」であった。一人旅でも、笑顔でずいぶん楽しくやっていたようだが、終わってみれば、ずしっと心身に応える後味が残った。デュオとトリオの違いに比べ、デュオとソロとでは、その世界が根本的に異なる。
ステージの主役である歌手は、野球で言ってみれば投手だ。小高いマウンドに立たされた投手は宿命的に孤独だが、それでも距離を保ってサポートしてくれる仲間がいる。つまり、「守られた孤独」だ。しかし、たったひとりでの演奏においては、投手たる演奏家が、捕手も野手の役もすべてやらねばならない。つまり守ってくれる仲間はそこにいない。いや、この場合野球でなく、やはり「ひとり旅」で説明するほうがわかりやすいだろう。途上守ってくれる者がいないばかりか、僕が歩みを止めれば、そこで旅、つまり演奏も終わりだ。それは許されない。道連れの相棒との音楽的会話もなく、その表現は畢竟「ひとり語り」の様相を呈する。もちろん、聴衆とのコミュニケーションというものはあるのだけれど、絶対的にこちらから発しているものの方が大きい以上、独り語り的になることは避けられない。
久々の完全ソロ、まだ慣れないが、今後このスタイルでの仕事は増えてゆくだろうと思う。というか、増やして行きたい。なぜか?

僕は30年前の「原点」に戻ろうとしている。高校2年の僕が、ギターとピアノをとっかえひっかえ、ジャクソン・ブラウンを、ビリー・ジョエルを「ひとりで」演奏していたあの頃の様式に。「様式」だけではない。なにか形を超えた内面的な表現への欲求だ。それは自然、創作ということにもつながってゆくから、作曲も再開することになるだろう。10年のブランクの後に。そして25年ぶりのピアノの練習はすでに始まっている。つまりすべてはリンクして進んでいる。実際、今年の末に自分が何をやっているか、ちょっと想像がつかない。しばらく、この自然な進化に身をゆだねるしかなさそうだ。
CD「トロバドール」発表から3年。僕もようやくトロバドールから脱皮の時期を迎えようとしている。


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