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ルドンの蝶

本日はアルバム11曲めの「ルドンの蝶」をご紹介。
アルバム中で唯一歌詞のない曲。いや、歌詞をつけようかと思ったこともあるのだが、つけない方が良い、いや、つけようがない、という結論に達した「不思議系」の曲。不思議なものを僕の拙い言葉で定義することを避けた、とも言える。その不思議世界を、池田雅明君のピアノと、渡辺亮さんのパーカッションがみごとに演出してくれた。
「ルドン」はあの、目玉や、奇妙な生き物や、花を描きながら、不思議な幻想世界をモノクロームで、または氾濫するような色彩で表現した画家オディロン・ルドンのことである。曲ができあがったとき、これはまさしくルドンの世界だな、と思ったものだが、あらためてルドンの画集を見直してみると、意外なことに蝶はあまり舞っていなかった。あれれ。でも、まあよい。ルドンが蝶を描いたら、こんなだろうというような、怪しい蝶だ。もうほとんど「蛾」なのかもしれない(笑)。池田雅明君は、ボサノヴァアレンジの間奏のピアノで、そんな蝶の怪しい「舞い」を表現してくれた。まるで粉が降ってくるようではないか。そして、そのバックでは鳥の声やら、怪しい虫の羽ばたきなどを、笛やビリンバウなどを駆使して「音の絵描き」である渡辺亮さんが現出してくれた(スタジオの録音ブースで怪しい動きをしながら、不思議音世界を奏する亮さんそのものがルドン絵画の一部のような気さえしたものだ)。
僕は歌手だが、楽器奏者はいいな、と羨ましく思うことが多い。言葉のない音楽は絵画に通じるけれど、言葉のある音楽は半ば文学に属してしまう。それが、鬱陶しいと思わぬこともない。
全13曲を続けてお聴きになるリスナーの方が、10曲も続けて「文学」に付き合わされたら、この辺りで言葉から解放されたいと思われるのではないだろうか。「ルドンの蝶」にこのアルバムの中でそんな役割を担ってもらおうと思ったのも事実。
ああ、しかし「ルドンの蝶」というタイトルがすでに文学的なのかもしれないな。やはり解放は無理か(笑)。ラララでも、臼田が歌えば、それはもうほとんど言葉だ。仕方ない、お付き合いいただきましょう。臼田道成短編集より「ルドンの蝶」。
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piano, keyboards 池田雅明
acoustic guitar 松尾和博
nylon strings guitar 臼田道成
electric bass 村上聖
percussion   渡辺亮

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恋は捨て身

この曲は、コメディである。が、同時に実話である。つまり、我が青春が、どれだけ喜劇的な悲劇であったかということである。「捨て身の恋」がもたらす結果は、たいてい悲劇的なものであるから。しかし、遠い青春の悲劇はもはや、今となっては明るい喜劇である場合が多い。20代の僕が、悩みの日々の中、よくぞこんな喜劇的作品を書いたものだ。褒めてやりたい。
さて、この曲については書きたいことが山ほどある。が、いくつか記すと・・。
講談、という芸能がある。落語でも漫談でもない。ハリセンで、卓をバチン!と叩きながら、話をどんどん進行させてゆく、あれである。僕は、この曲を完成させた当初から「これは講談ボレロだ」と思っていた。もちろん、そんなジャンルはない。しかし、この語りの味わいとリズム感は講談だろう。きっとそうだ。そして、これは録音に参加してくれたパーカッションの石川君が放った面白い感想。「アルゼンチンで出稼ぎしてるメキシコ人ミュージシャン!」(笑)。これも、当たり!中間部で出てくるタンゴは、ボレロ演奏家が、ちょっとだけよ、とやって見せたタンゴか。
また、もう一人、このアルバムに参加してくれたパーカッショニスト渡辺亮さんは、「サボテン・ブラザースですね!」と。なんだ? いや、さすが映画好きの亮さん。ご明察。観てみると、ウエスタン調の傑作喜劇でした。
講談〜メキシコ〜アルゼンチン〜ウエスタン・・、そして?
最初に「実話」と書いた。いまだに、この歌を歌いながら、一番の「紺のドレス〜♫」というところで、一瞬息苦しくなる。なぜ、紺でなければならないのか。二音節なら、「白のドレス」「赤のドレス」etcいくらでもオプションはあったはずだ。そう、実話なので、紺だったものは、紺でなければならないのだ。苦しい。遠い青春の悲劇は喜劇になると書いたが、ここを通過するときだけ、臼田の心は疼く。紺ねえ。そうだったねえ。さらば青春。でも忘れない。忘れられない。ならば飲もう。なに、青春だけじゃない、恋は捨て身、さ。五十過ぎても、いつまでも。
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accordion 中浩美
piano, keyboards 池田雅明
guitar 臼田道成
percussion 石川智

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長い夜のどこかで

本日はアルバム9曲目「長い夜のどこかで」をご紹介。
このアルバム13曲の中で、曲の体格から言って「嘆きの星」「世界中を青い空が」と並んで「重量級」トリオの一角。
これを作曲した直後、「お、これはスメタナの『モルダウ』ではないか!」と驚いた。確かに冒頭の2小節はモルダウにちょっと似ている。
そして、歌詞はというと、その頃映画館で観たジム・ジャームッシュ監督の"Night on earth"(邦題「ナイト・オン・ザ・プラネット」)にインスピレーションを得て書いたものだった。同じ時刻に地球上の5都市の片隅で展開する様々な人間模様を描いた映画。この歌の中では「夜の闇(ある若者)」「日照りの大地(民衆)」「青い海(神)」「遠い星(宇宙人)」「この街(私)」「暗い夜空(天使)」と場所と主人公が次々と移り変わる。
思えば、95年発表の旧アルバム「風」は自分、すなわち臼田道成本人の心の物語、経験を歌ったものが殆どだった。タイトル曲「風」然り、「その夢にかえて」然り、「心のアルバム」然り。
が、今回のアルバムでは、歌手臼田は、より「語り部」となっている。
そうだ、思い出した。その昔、ある作詞家(松任谷由実さんのお弟子さんとか)に、こうアドバイスされたことがあった。「臼田君の歌を聴くと、聴き手の女の子たちは臼田君本人のことを考えてしまう。彼女たちの彼氏を思い浮かべるような歌詞にしなきゃいけない」とのたもうた。「てやんでぇ、聴き手が俺のこと考えて、どこが悪いんだ!」と若い臼田は腹の中で断固抵抗したものだ(笑)。
さて、どうだ、時を経て、臼田は自分のことを語らなくても自己を表現できるようになりましたとさ。
人間、焦ってはいけない。人にはそれぞれの、成長の速度、過程があるのだから。「臼田君はこうしなくちゃ、いけない」なんて言っちゃいけない(笑)。
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trombone, piano, keyboards 池田雅明
acoustic / electric guitar 松尾和博
drums 石川智
backing vocal 臼田道成

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いつもの土曜日

本日は、アルバム「世界中を青い空が」から8曲めの「いつもの土曜日」をご紹介。
一聴しておわかりのようにワルツである。臼田道成はワルツが好きなのである。というか、何か作曲しようとすると、自然にワルツになってしまうようだ。なにせ、高校生の頃ピアノで初めて作った曲がワルツだし、初めて作詞作曲した「その夢にかえて」(アルバム「風」所収)もワルツ。30歳の頃、なんと夢の中で作った曲も、ワルツだった(浴衣姿の松坂慶子が小川の岸辺にしゃがんで物憂げに川面を見つめている。こちらに背を向けているので顔は見えていないが、僕にはそれが松坂慶子だとわかっている、そんな夢)。そうそう、すでにご紹介したアルバム5曲め「夢そのままで」も三拍子。
さて、自然にワルツになってしまう、と言いながら、実はこの「いつもの土曜日」には、あるお手本があった。リオを賛美する名歌"Valsa de uma cidade"(ある街のワルツ)である。カエターノ・ヴェローゾの歌でこの曲を知り、なんて美しい曲だろう、こんな曲が書けたらなあと思っていたら、この曲「いつもの土曜日」ができたのだ。作曲の種明かしをする作曲家も珍しい(笑)。いいんだ、別に。お手本があろうと、これは、断じて盗作なんかではない、明らかに僕の作品なのだから。しかも歌詞は、街を賛美する歌でなく、妻への感謝の歌。これもお手本、いや、モデルとなるご夫婦があった。誰とは言わないが、この曲が喚起するイメージにぴったりのご夫婦だった(と勝手に感じた)。
創造は、模倣から始まるとは真実で、しかし、お手本なりモデルへの「感動」が根本にあるならば、その模倣は必ずや良き創造につながる、と僕は信じる。

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保谷

本日は、アルバム「世界中を青い空が」から7曲めの「保谷」をご紹介。全13曲なので、これがアルバムのど真ん中。この曲は、あまりに異色なので、ボーナストラックにするか、などと考えていたものだ。しかし、アルバムはきっちり「世界中を青い空が」で終わらせたい。さて・・と思ったが、ど真ん中は、結構良いポジションだったと思う。
「異色」と書いた。何が異色であるか。まず、今回のアルバムでこの曲だけが共作であること。いや、共作、などと、畏れ多い。「戦後最大の詩人」と言われる田村隆一氏の詩に、勝手にこの僕が曲を付しただけのことだ。あれは1998年8月の末。作曲に行き詰っていた臼田は、たまたまピアノの上に置いていた田村隆一詩集をパラパラとめくり、たまたま目に留まった「保谷」という詩を眺めるうち、あっという間に曲が付いてしまったのだ。意図した出来事ではない。つまり「事件」だ。そして、翌日の夜、医学部時代の先輩から電話があり、「臼田、田村隆一が亡くなったぞ!」との訃報を受けた。しばし呆然とする。昨日、大詩人の小さな詩に曲を付したばかりなのに・・。田村隆一氏、1998年8月26日逝去、とある。ならば、曲が生まれたのは、8月25日であったのか、または26日、亡くなった当日であったのか、もはや記憶は定かではない。
この夏、8月26日に川口のリリア音楽ホールで行われた僕のコンサート、「イパネマの娘」というタイトルのボサノヴァ・コンサートではあったが、アンコールで、この「保谷」を歌わせていただいた。ボサノヴァではない、が、誰がなんと言おうと、歌うつもりでいた。ちょうど19年前のこの日に亡くなられた、「保谷」の詩人に敬意を表さねばならないと思った。
今回、このアルバムに収めるにあたり、著作権者様、つまりご遺族から許可をいただくことができた。なんとありがたいことであろう。詩と酒を心から愛し、そして詩と酒の神からも愛された我がアイドルであり、大詩人である田村隆一の言葉を、僕の声で皆さんに伝えることができるなんて。そして、この詩の最後にある、決意の数行は、田村さんの決意であったと同時に、我々、創造を仕事とする者たちへの、田村さんの激励であり、我々が旨とすべき指針であるはずだ。「保谷」は僕の座右の歌であり続けるだろう。誰がなんと言おうと。

 ぼくは悲惨をめざして労働するのだ
 根深い心の悲惨が大地に根をおろし
 淋しい裏庭の
 あのケヤキの巨木に育つまで

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歌とピアノ:臼田道成

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